What is so creative?

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2011, May 30 - 13:06

Guam Trip

2011.5.24-26 時間をつくる事ができ、以前から考えていた一人旅を決行時の記録。

グアムはアメリカの準州ではあるが45日以内の滞在であれば、機内でビザ免除申請書に記入し入国審査時それを提出する事によりESTAの登録は必要ない。

時差は1時間、飛行時間は3時間半、3休日あれば気軽に何か一人で考えごとをしたい時など日常から抜け出せる旅に出かけられる。 特に自然だけを求めて行く人にとってベストだと思う。 今回の目的は、グアム島1周サイクリングではあったが、現地で実際実現可能かどうかも定かではなったため下見的に行く事にした。 まずレンタサイクル、普段乗っているクロスバイク並の高性能な自転車はなかなかない。マウンテンバイクであれば簡単に借りられた。ただ、基本整備が行き届いていないため、それで一周は厳しい…何時かかかるやら… 私が行ったときは自転車に乗ってる人はほとんど見かける事はなかった。道路幅は結構あるが主要な道路は交通量が多くスピードも早いからかなりの恐怖。砂利も結構多いから太めのタイヤが適していると思う。

結論、折りたたみのマイバイクを持参して行きパンクなど応急処置できるよう入念に計画を立て、あらゆる緊急対策をねっていかないと一日では到底回りきれない。

ちなみに今回は半周で帰って来た。サンオイル塗るのが遅れて半やけど状態…でも、外国人が一人でサイクリングなんてしてたら男でも現地の人が話しかけてくれる。やっぱりそういう人との交流が一番の醍醐味かな。

 

夕方はホテルに戻ってサンセットを見る事にした。見渡す限りの水平線と赤色の積乱雲、半島、レースカヌーの練習をする人たち、浜辺をジョギングする人たち、夕暮れは本当に澄んだ気持ちにさせてくれる。

短い時間ではあったが、楽しく素敵な時間を過ごす事ができた。

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2011, April 14 - 13:03

Thought that the weapons program in the city lost

〜 感動したすばらしい良記事 〜

Keep Crazy;shi3zの日記より

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喪われた街で考えた、プログラミングという武器

日曜日の午前0時、トランク一杯に毛布やら食料やらを積んで、被災地に行った。

親戚が多く住む、見慣れた街。

そこで見た変わり果てた街の姿に、僕は言葉を失った。

 

大自然の猛威という言葉はあまりに簡単で、簡単だから口にできない。

この光景を現実に目の当たりにして、僕は涙よりもどんどん心が冷たく冷めていくのを感じた。

ホラー映画を見て、「あれは作り物だ、CGだ」と自分に言い聞かせるように。

何度も何度も言い聞かせた。

しかしそれはどこまでも、徹底的に、現実だった。

無慈悲な海はあまりにも多くのものを飲み込んだ。


誰が悪いというわけでもない。

国道を挟んで、海側が壊滅し、山側は残った。

津波の被害を免れた山村も多くは屋根瓦が落ち、ビニールシートで補強していた。


ときどき、開けた場所では、しばしば津波は国道を乗り越えた。

線路は壊滅し、車は流された。

学校や職場にも行くことができなくなったのだそうだ。

自分が生き残ったのは、単に運だ。


生き残った人はそう言った。

この極限状況下で、生まれたばかりの我が子を見殺しにするような選択を迫られた人も居たそうだ。

こういう場面を間近に見て、僕は気がおかしくなるのではないかと恐れていた。

けれども現実は逆だった。


逆に僕はどんどんどんどん、冷静になっていくのだった。

心が熱を失い、しだいに冷たく、ひんやりしていくのだった。


あまりに想像を絶する極限の状況に陥ると、人の心は防衛本能を発揮して心を閉ざしていくのだそうだ。

その防衛機構が、僕に働いたのかもしれない。


いけどもいけども廃墟だった。

見覚えのある景色は、どこにも無かった。


親類も含め、被災者となった人たちは、おしなべてみな、元気そうだった。

というよりも、カラ元気でも出さなければ、やってられない、といった感じだった。


ここでは誰も原発の影響を恐れていなかった。

家が亡くなり、職場が消滅してしまった人たちにとっては、原発の影響など、何十年も先のことだ。


それよりも今、目の前の状況からどう立ち直るかだ。


あちこちのコンビニやレストランに「がんばろう東北」とか、「がんばろう福島」とか書かれていた。

この「がんばろう」は、テレビでタレントが言ってる「がんばろう」とは、別の言葉に聞こえる。


仙台高専の名取キャンパスにも行ってみた。

被災者となった学生たちは交通手段を失い、いまは寮に住んでいるという。



新幹線すら、まだ動いていない。

高速道路は封鎖され、鉄道は線路ごとなくなってしまっている。

ここはいま、本州で一番遠い街になってしまった。


念のためにと携行したガイガーカウンタであちこちの放射能を測ってみた。

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2011, March 31 - 18:34

Principal Message

- 起きてしまった現実から生まれた感動的なメッセージ -

 

立教新座高校サイトより

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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

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2011, March 16 - 15:42

Natural disaster ~ Pray for Japan ~

 

その日は、夕方から大事な打ち合わせを予定しており終日その準備に追われていた。 どのくらい揺れたのだろう、本気で10階のビル、そして周りの超高層ビルが倒れるのではないかと思った程だった。 真っ先に震源地をPCで調べる…故郷だった。あまりの揺れにとっさに両親に連絡を試みたがつながらず、その間10秒ほど。

 

その後、映画のように首都は大混乱…

 

 

それから5日後、未だに気が重い… メディアから流れる映像に言葉を失いショックを受けた夜を4日越してはみたが、とてもじゃないがまともな精神状態ではない自分がいる。

何度も気分転換を試みるが、元に戻っての繰り返し…

きっと日本中のひとが同じ心境なのだろう…

生まれ育った馴染みのある地が跡形もなくまるで戦後の焼け野原のようになった映像は脳裏から離れない...

遠く関東からできることは限られていて、結局何もできない自分との心の葛藤に明け暮れる日々…

これを機にみんなで再建しようという前向きな言葉にも反応できない…

 

世界中から応援のメッセージ。

胸を打たれる。

 

心の整理はまだまだつかないが、こうして生きながらえさせてもらった命。

自分のできることや得意分野で、できることをするしかない。

 

そして、亡くなった人の分まで光り輝やく命を全うすること。

 

2011.3.11 この日を忘れない

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