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Natural disaster ~ Pray for Japan ~

 

その日は、夕方から大事な打ち合わせを予定しており終日その準備に追われていた。 どのくらい揺れたのだろう、本気で10階のビル、そして周りの超高層ビルが倒れるのではないかと思った程だった。 真っ先に震源地をPCで調べる…故郷だった。あまりの揺れにとっさに両親に連絡を試みたがつながらず、その間10秒ほど。

 

その後、映画のように首都は大混乱…

 

 

それから5日後、未だに気が重い… メディアから流れる映像に言葉を失いショックを受けた夜を4日越してはみたが、とてもじゃないがまともな精神状態ではない自分がいる。

何度も気分転換を試みるが、元に戻っての繰り返し…

きっと日本中のひとが同じ心境なのだろう…

生まれ育った馴染みのある地が跡形もなくまるで戦後の焼け野原のようになった映像は脳裏から離れない…

遠く関東からできることは限られていて、結局何もできない自分との心の葛藤に明け暮れる日々…

これを機にみんなで再建しようという前向きな言葉にも反応できない…

 

世界中から応援のメッセージ。

胸を打たれる。

 

心の整理はまだまだつかないが、こうして生きながらえさせてもらった命。

自分のできることや得意分野で、できることをするしかない。

 

そして、亡くなった人の分まで光り輝やく命を全うすること。

 

2011.3.11 この日を忘れない

衝動的行動 ~ 一心不乱 ~ その一

「お前、気は承知か!?大丈夫か?良い精神科医紹介しようか? 」
 って思われるような行動をしてみた・・・・・。たまにはそんな無意味で無謀で無駄なことをするのがやけに新鮮に感じられ思い立った。そんな無意味な事にこそいままで気付いてなかった発見があるんじゃないか、そんな思考のトリックにかかった。アー意味わかんねー、うまく伝わんねーだろうなたぶん。
 
 毎日毎日、ITな仕事つまり理屈や理論ばっかり(左脳)に頭をつかってると、なんてつまらない世界なんだろうって思う。もちろん生活していくには必要な訳だけど。だから、音楽なんかを聞いて想像力をかきたてる。ボーっと寝そべって音楽を聴きながら考え事をする。

 誰かの呼ぶ声がする。胸騒ぎがする。また誰かの呼ぶ声がする、今度は叫び声にも近い声。誰かが僕にテレパシーを送っている。そしてまたテレパシーを受信する。

 人間は太古の昔、テレパシーを使えたという。進化していく過程で言葉を使うようになりテレパシーする能力はその必要性をなくしたのだ。現在でも動物の中にはまだその能力を持っている動物もいるだろう。
 でも人間は、時々思い出す。その能力を。

 
 気が付くと、羽田空港第2ターミナルビル。ただ、呼ぶ声につられ脚が動く。空港は土曜の昼間だっていうのに足早に歩く人の声がかすかに聞こえるだけで、やけに静かだ。

 おいおい、札幌まで当日チケット買っていくらかかると思ってんだ。タケ―ぞ!はやく正気になって都内に戻ってジムにでも行こうぜ。理屈っぽい自分が語りかける。
 それとは裏腹に、今日何度目だろうテレパシーが届く。そして、受信したテレパシーは感情へと形を変えた。言葉にならないこの想いは何のためあるの?胸の奥にあったしこりが顔をだす。なんでこんな感情が存在するの?もう残ってたってしょうがないじゃない。意味ないよ。誰かがいってた言葉が駆け巡る、種の保存のための本能なの?種を保存できないDNAの叫びが声を荒げている。

 理屈っぽい自分と種の保存のためのDNAの闘いはDNAが勝り、昼過ぎから続いた死闘は一旦幕を閉じ、7月30日(土)20時過ぎ肉体を新千歳空港へと運ばせた。

人間力

菊池雄星がよく口にする言葉、
「人の心に何か残せるような選手になりたい」

かつて、こんなにも応援したくなる選手がいただろうか。

~以下、スポーツナビ コラム(田尻賢誉筆)より~

超高校級の人間力―花巻東・菊池雄星

 花巻東・菊池雄星を表現する際によく使われる言葉だ。長い手足。180度開脚して胸が地面にべったりとつくほどの柔軟性。左右の手を組んだままで、腕が後ろに一回転するほどやわらかい肩甲骨。最速155キロを誇る速球。キレ味鋭いスライダー。夏の岩手県大会、甲子園を通じ57回3分の1で7四死球(1試合平均1.1個)の制球力……。それでいて、希少価値のある左腕だから、米大リーグが放っておかないのも無理はない。
 だが、菊池の魅力はこれだけではない。ものの考え方、気づき力、心配り……。これには、会うたびに、話をさせてもらうたびに驚かされた。
 超高校級の人間力――。
 これこそが、“菊池雄星”をつくり出している。

■菊池がチームメートに愛される理由

日本プロ野球入りを決意した高校ナンバーワン左腕・菊池。ドラフト会議では複数球団からの1位指名が予想される【写真は共同】 菊池には、自分なりの哲学がある。それは、「背番号1を背負う以上、何でも一番でなければならない」というもの。だからこそ、何事にも手を抜かなかった。日ごろの私生活はもちろん、野球に対する取り組み、練習への心構え、全力疾走、ベンチでの声出し、毎日の野球日誌書き……。常に全力で取り組んできた。投手でありながら全力疾走を続けてきたことに対し、菊池はこう言っていた。
「100人部員がいる中で、20人しかベンチに入れません。全力疾走すらできない、(グラウンドで)声を出すことすらできない選手がたくさんいます。そう考えると、できる権利があるのに放棄する選手は納得がいかない。走ることすらできない選手に申し訳ないです」
 ちなみに、全力疾走は試合だけではない。練習前のアップでも、終わりの印であるカラーコーンで減速することなく、コーンを越えて走っていた。
「試合では投手が一番注目される。普段は人が最も嫌がることをしなければ」と3年間やり続けてきたトイレ掃除については、こう話していた。
「投手にとって一番大事なのは、みんなに安心感を与えることだと思うんです。こいつで負けたらしょうがない。こいつとなら心中できると思ってもらえるか。ただ、信頼というのは1日や2日でできるものではない。3年間を通してしっかりやった者だけがつかめる。自分も、3年間そういう姿を見せたことによって、(試合で)逆転してくれたりとか、仲間が助けてくれたのかなと思います」
 掃除を担当するトイレに客人が土足で入り、汚されたこともある。自分が嫌な気持ちになったことで、常に相手の立場になって考えられるようになった。菊池は大会中、データ班や打撃投手を買って出てくれるメンバー外の仲間に対し、自らのお小遣いで栄養ドリンクを差し入れしていた。そんな心遣いができるからこそ、実力が飛び抜けていながらも、チームメートから愛された。

 とにかく好奇心旺盛で人の話をよく聞く。「トレーニング方法は日々進化していると思うので」とあらゆる手段で新しいトレーニング方法を仕入れ、積極的に自主練習に取り入れる。日米20球団の面談が入っていた期間も決して練習を休まず、下級生の練習終了後も一人残って黙々とトレーニングをしていた。常に成長したいという向上心は見上げるばかりのものがある。もちろんそれは、野球の技術的なものだけにとどまらない。菊池はよくこんなことを言っていた。
「野球の技術は年齢とともに衰えますが、心の部分は70歳になっても80歳になっても成長できると思います」
 だからこそ、野球を引退後の夢も持っている。それは、教師になり、野球の指導者になること。その理由を菊池はこう説明する。
「野球の記録だけではなくて、何かを残したいからですかね。取り組む姿勢とか、そういう姿というのを自分だけで終わらすのではなくて、子供たちに伝えていけば、その人たちがどんどん下(の世代)に伝えていって、野球がもっと盛り上がると思うので」
 ここまで考えている高校生がいるだろうか。

■日本プロ野球選択は決して回り道ではない
 日米を巻き込んでの騒動となった進路問題は日本でプレーするという結論になった。普段から、野球以外のことも考え、全力で取り組んでいる菊池が熟考した結果。後々、必ずや「いい選択だった」と言われるときが来るだろう。
 以前、変化球について尋ねたとき、菊池はこう言っていた。
「まずはまっすぐを伸ばす時期だと思いますが、タテの変化球を完成させたい。手が大きいので、フォークは投げられると思います。まっすぐ、スライダー、フォークの三本柱を磨きたい」
 今流行りのツーシームや左投手特有のスクリューは最終手段。年齢を重ねてからでいいとも言っていた。150キロを超す速球を投げる投手がゴロゴロいるアメリカには、速い球は苦もなく打つ打者ばかりだ。そこに身を投じれば、当然、菊池のストレートでもはじき返される。その結果、いい当たりをされたくないという思いからツーシームなどの小さい変化球を覚えたくなる可能性もある。それでは、本末転倒だ。
 高校野球とは違い、日本のプロ野球はストライクゾーンが狭い。打者の選球眼もいい。ここでピンポイントに投げられる正確な制球力を身につけることは、投手として一段上のレベルに行くことを意味する。一発狙いで振り回す打者が多く、制球力よりも球速や球威で勝負する投手の多いアメリカでは、この部分を磨くことは難しい。将来的にメジャーでプレーするために、実力を磨く舞台や環境はむしろ日本の方が多いかもしれない。

 技術、能力、人間性。どれも申し分のない菊池。唯一、心配なのは人がよすぎる性格面だけだ。だが、それは菊池自身も自覚している。
「道を歩いていても、知らない人に『君はやさしすぎるから勝てないんだ』と言われたこともあります(笑)。勝負の世界になれば、お人よしではダメ。ときにはムキになって、牙をむくことも大事なのかなと思います」
“いい人”を捨て、若者らしい荒々しさでプロの世界に立ち向かってほしい。臆することなく、上から目線でプロの打者を見下ろして投げてほしい。牙をむき、日本球界を席巻して、数年後、胸を張って夢であるメジャーへ旅立ってほしい。日本選択は決して回り道ではない。
 夢は正夢。
 雄星ならできる。
 吠えろ、雄星――。

<了>

アインシュタイン

想像力は知識よりも大切だ。
知識には限界がある。
想像力は世界を包み込む。

対立

 

私は学生時代、日本史や世界史が好きだった。だから、自然とテストの点数もよかった。
 でも、今を生きる僕等にとって、どうして過去を知っていなければならないんだろう。ずっと思ってた。
 でも、ある程度歳を重ねた今は、歴史を知ること・歴史から学ぶことの意味がよくわかるような気がする。

 いにしえの昔、ギリシャとトルコは悲惨な戦争をした過去があるらしい。ギリシャ人に言わせれば、トルコと和解するなんて考えられないという。「日本はアメリカに核を落とされてもどうして和解できるのか、日本は不思議な民族だ。」と思っている。

 赤ん坊を守る時、欧米人は自分の背後に赤ん坊を携えファイティングポーズをとる。それに対し日本人は、赤ん坊を胸に抱え守ろうとする。ここに、国民性が如実に表れている。争いごとに闘争心を燃やし徹底的に闘う、どちらかというと積極的な欧米人。なるべく衝突を避けよう避けよう、物事をあいまいなままにし、うまくまるめ込もうとする、どちらかというと保守的な日本人。
 どちらが良いか悪いかなんてことじゃないんだ。

 大概の欧米人は、「対立することは大事だ。わかりあうために。」という。
 では、我々日本人はどうだろうか。皆がそういうわけではないが、なるべく対立を避けよう避けようとする傾向がある。ぶつかりあわないで、包み込むのが美徳だというのもあろうが・・・。

 
 私も、もうすぐ三十路だ。私は学生時代、もうこれ以上ないっていうほど世界が希望にあふれた経験とこれ以上ないっていうほど暗黒と化した経験をしたと思っている。かなり大げさにいえば。
 だが、これから生きていく上で待ち受けている未来は、もっと過激でスリリング、より崇高な出来事に満ち溢れているものなのだ、酸いも甘いも。それを乗り越えていくためには、臆せずして向き合いしっかりと対立していくということが、なにがしろ必要不可欠だ。例え、わかりあえることなんてないと解っていても、傷つけあうためだとしても。

 我々は、「対立」という言葉にネガティブなイメージをもちがちだが、「対立」というのはもっとポジティブなことなんだというイメージを備え付ける。

 無論、対立することに苦悩は伴い容易なことではないが、そこから逃げないでわかりあおうとする意思が相手の胸にまっすぐに届いたとき、そこにはきっと明るい情趣・癒しや光明が潜んでいるに違いない。

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